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A Present for You
from Tetsu Sawamura
December 24,2008
Round Snow
沢村 鐵
ぼくはいま、敵地へ向かう兵士の心境だった。
雪のなかの進軍だ。三日前から断続的にスゴい雪だった。ホワイトクリスマスにも程があると思う。だけどぼくらが住んでる町は毎年こうだ。東京から越してきて三年になるけど、ホワイトクリスマスじゃなかった年は一回もない。さすがは北海道だ。
ぼくは雪道に苦労して、部隊からどんどん遅れた。隊長が立ち止まって振り返る。ぼくを見つめる。でもなにも言わない。
「ゴメンゴメン」
顔を上げて、ぼくはヘラヘラ笑った。自分の息で視界がふあっと真っ白になる。雪も、顔めがけて降ってくる。眼鏡にくっつかないようにひさし
の付いた毛糸帽を目深にかぶってたけど、上を向いちゃったら意味がなかった。雪はぜんぜん容赦してくれない。夜空は真っ黒。街灯の光を浴びた雪の粒たちが、一瞬、ぼくに襲いかかる生き物の群れみたいに見えた。
隊長はひたすら黙ってる。ぼくを見てるだけ。膝まで積もった雪に足を取られてるぼくを。責めるような目じゃないけど、いまのぼくは足を引っ張ってるだけだからやっぱりヘコむ。この部隊は隊長とぼくの二人きりなんだ。
隊長は、手を貸すかどうか迷ってるのかも知れない。絶対に手なんか借りたくないから、ぼくは足に命じる。動け、男だろ。雪がなんだチクショウ、と。
ぼくがどうにか進軍を再開すると、隊長はまた前を向いて歩き出した。
隊長の名前は相楽智子
(さがら・ともこ)
。ぼくのクラスメートだ。
で、ぼくの名前は加賀大樹。大きな樹、って書く。つくづく皮肉な名前だと思う。十五になっても背はさっぱり伸びなかった。高校に入ってから伸びる人もいるっていうけど、期待なんかしてない。してないつもりだったけど、隊長を見るとどうしてもミジメな気分になった。だって彼女は学校の女子のなかでいちばん背が高くて、一七〇センチを越えてる。隣りを歩きたい男子なんかほとんどいないと思う。
トモコちゃん、トモちゃん、トモっち。彼女の呼び方を迷ってたけど、ぼくは最近
「モコちゃん」
に決めた。もちろん、本人に呼びかけたことなんかない。心のなかで呼んでるだけ。そんなに馴れ馴れしい間柄じゃないんだ。
モコちゃんは真っ白なダウンジャケットを着てて、背中には緑色のリュックをしょってる。けっこう重いはずだけど、彼女が背負うとそんなに重そうに見えない。どうして男のぼくが持ってやんないかっていうと、サボってるわけじゃなくて、足が悪いからだ。生まれつき左脚の膝の下が少しひしゃげてる。自力で歩けるけど、走るのは無理。大きな手術を二度やったけどあんまりうまくいってない。
母さんはこんなぼくのことを心配して、中学を卒業してもずっとこの町にいてほしいって言ってる。そうすれば親子でいっしょに暮らせるから。でもぼくは札幌の高校を受けるつもりだ。この町から出たい。なんだかイヤなんだ。馴染めなかった。中学生の三年間は息苦しかった。この町の人たちと打ち解けられなかった。学校でも、近所づきあいでも。ぼくがよそ者だってこともあるだろうけど、それだけじゃないと思う。うまく言えないけど……なんだかみんな、ちゃんとぼくを見てくれないんだ。目を合わせようとしても、そらされちゃう。ぼくが悪いのかな?
でも、モコちゃんもぼくと同じように感じてる。そんな気がして仕方なかった。モコちゃんはこの町の生まれのはずなんだけど、学校ではよそ者に見えるのだ。馴染んでない。あんまり話し相手がいなくて、初めから欲しいと思ってるようにも見えない。ぼくと似てるなあ、話、合うかもなあ。話したいなあ……ってずっと思ってた。モコちゃんのほうは、ぼくをどう思ってるかさっぱり分からないけど。
彼女も卒業後はこの町を出る。まず間違いなく。バスケットボール部で三年間ずっとエースで、今年は主将として部を引っ張って、道大会でもベスト8まで行った。スポーツ推薦が受けられるから、選択の幅がすごく広い。東京の高校から熱心な誘いが来てるというウワサもあった。それがホントかどうか、ぼくはまだ本人に確かめられずにいるんだけど。
まるで共通点のないこんなふたり組が、いまなぜかタッグを組んで同じ場所を目指してた。共通の目的があるからだ。目的地は、同級生の長沼武典
(ながぬま・たけのり)
の家。これがまたスッゴい家なんだ。どこかの国の大使館みたいな西洋邸で、札幌の雪祭りの雪像のなかに混じっててもおかしくないくらい豪華。除雪がぜんぜん追いついてない放射2号線を函館山のほうへ向かって歩いていくと、まずそのお屋敷の屋根が見える。横道に入ると途端にお屋敷の全体が目に入ってくる。窓からの明かりがすごく明るくて、中は盛り上がってるんだろうな、あったかくて美味しいものがいっぱいなんだろうな、と思った。もう同級生たちはそろってるだろう。しかもタケノリが呼ばなかったヤツだけのぞいて。
そう、このパーティーに参加するためには招待状が要る。長沼武典が気に入らないヤツには招待状が届かない。そういう、なんだか敵と味方に分けるようなやり方、はっきり言って最低じゃないかな? ぼくは改めて腹が立ってきた。タケノリ待ってろよ、オマエにすごいプレゼントを持ってきてやったんだから!
ぼくらはついに長沼家の門をくぐった。門柱はロケットかと思うほど長くて立派だった。モコちゃんの後ろにくっついて、ぼくはドキドキしながら広い庭を進んでいく。玄関につくと、モコちゃんはチャイムも鳴らさずにドアに手をかけたのでぼくは声を上げそうになったけど、扉はあっさり開いて、正面に横長のテーブルがあるのが見えた。男の人がひとりで座ってる。黒い礼服を着て、なんだか裁判官みたいにおっかなく見える。その人は眼鏡をかけてたけどずいぶんずり落ちてて、かろうじて鼻の先に引っかかってた。男の目はレンズを通さないで、上目づかいに直接、ぼくらのほうを見た。
「はい、どちら様?」
彼は言った。姿に合わないガラガラ声だった、魚市場のセリ師みたいだ。
「あッすいません」
すかさずモコちゃんの前に出ると、ぼくは言った。
「ぼくら武典くんと同じクラスなんですけど、招待状、ちょっと忘れて来ちゃって」
頭を掻いて、いかにも困ったなあって顔をしながら。ぼくはこのために来たのだ。舌だけはよく回るから、交渉係。口達者でお調子者でガリ勉。ぼく、加賀大樹は学校でそう思われてる。だってそうなるしかないじゃないか? チビ助で、身体が弱くて、足が悪いときたらほかにどんな武器があるってんだ。
交渉はぼくに任せっきりで、モコちゃんはウンともスンとも言わない。それでいい。天井を見上げると、はるか上の方に豪華なシャンデリアがぶら下がってる。お屋敷のなかに入るのは初めてだったけど、それにしてもこのロビーの広さはひどかった。象が三匹ぐらい飼えそうなんだもん。どんな国に来ちゃったんだって感じ。
「二人とも、忘れてきたの?」
受け付けの人の声はがさつだけど、ぼくらを疑ってるわけじゃなさそうだった。もう五十歳を越えてるふうのオジサンなのに、寒いロビーで受付をやらされてるなんて可哀想だ。もっと若いヤツいないのかよ、と腹が立つ。
「ハイ、すいません」
と愛想笑いしながら言うと、
「じゃあ、どうぞ」
ガラガラだけど優しい声で、あっさりと入れてくれた。
「そこ入って奥だから」
ぼくはヘコヘコ頭を下げながら、モコちゃんの背中を押して左の入り口から奥へ向かった。いい人でよかった、と喜んでる場合じゃない。ざわめきと大勢の人の気配が近づいてきてぼくはちょっとチビりそうになる。だけどモコちゃんの足は力強く前へ進んでいく。頑張らないと置いて行かれそうだった。雪で冷えたせいか、左足がちょっと麻痺してる。うまく歩けない。
転校してきて、ひょこひょこ歩くぼくを初めて見たとき、学校の連中は笑ったり目をそらしたりした。違う生き物を見るみたいな目だ。フツーに歩けるってことがどんだけエラいか知らないけど、ぼくだってここぞってときは優雅に歩くんだぜ。モコちゃんと二人でロープウェイに乗ったときなんか、ぼくのエスコートぶりは自分で言うのも何だけどカッコよかったはず。つい昨日のことだ。でもあれはデートなんかじゃなくてただの作戦会議だったけど。彼女はふだんに輪をかけて喋んなくて、だから「なんで函館山の上まで行かなくちゃいけないの?」とも訊いてこなかったのは有り難かったけど、ロープウェイの箱のなかじゃぼくが一方的に喋るしかなくて、でもけっきょく喋ることがなくなってふたりで窓から景色をじっと見るだけになった。あれは忘れられない思い出だ、いろんな意味で。
さあ、もう広間の入り口。豪華なクリスマスツリーが出迎えてくれる。でも電飾がケバケバしくて安っぽい。蹴り倒したくなったけど我慢した。騒ぎを起こすのはまだ早い。
広間は人で満杯だった。しかもいるのは同級生だけじゃなかった、大人もけっこういるじゃないか。タケノリの親父さんの知り合いだろう。だけどそんなことで怯むモコちゃんじゃなかった。そうだ、ぼくらの狙いはタケノリ一人――でも探すのは骨だなあ、とぼくが溜め息をつく前に、モコちゃんはもう動いてた。背が高いのはやっぱり得だ、すぐタケノリを見つけちゃったみたいだ。
「ちょっと、ちょっと待って」
ぼくは必死で追う。とにかく人が多いからかき分けるのが大変だ、モコちゃんの後ろにできる道を進むしかない。コバンザメみたいな気分だ。情けないけど、ここは我慢。いずれぼくの出番は来る。
いきなり入ってきて、広間の真ん中を突進してくる妙なコンビに気づいた同級生はぼくらを唖然として見つめてた。だけどこんなヤツらの相手をしてるヒマはない。フン、黙って見てろってんだ! すごい対決が始まるんだぜ。
目の前のモコちゃんが足を止めて、ぼくはぶつかりそうになってあわてて足を踏んばった。それから、モコちゃんの向こう側を見る。
タケノリが壁際のソファに座って、テーブルの上にあるオードブルをつまみながらボンヤリしてた。長めのクセっ毛が目のあたりにかかってて、どこか物憂げな顔はいつもと同じ。いや、いつも以上かな? それが、ぼくらに気づくとギョッと目を飛び出させた。ソファから腰を浮かす。モコちゃんはかまうことなく、テキパキと自分の任務をこなした。背負ってたリュックを肩から下ろすと逆さまにする。中身を、ぶちまけた。テーブルの料理の上にかからないように。ぜんぶ床に落ちるように気をつけて。
タケノリのその瞬間の顔――。ぼくは顔中で笑ってやった。やったぞ、ホントにやったんだああ愉快だ! そうだよ見ろよ、オマエの欲しかったもの取ってきてやったんだぞ、すげエ大変だったんだ、そんなに魂消てないで礼ぐらい言えよな!
リュックからボロボロこぼれ落ちてきたのは――何個か、ぼくの足もとにも転がってきたけど――野球のボールだ。軟球。小学生の頃から、日本全国の子どもたちが投げたり打ったりキャッチしたりしてるありふれた白いボール。
タケノリは、放心したようにソファにへたり込む。顔から血の気がひいてる。
モコちゃんはまだ突っ立ってる。タケノリは、ただ怯えた顔で目を泳がせるだけ。モコちゃんになにか言うどころか、まともに顔を見ることもできないみたいだ。
ぼくはそれを見てスッとしたか? 確かに。だけど、変に悲しかった。ここにいられないヤツのことが頭に浮かぶ。ぼくでもなくモコちゃんでもなく、アイツにこそ、このタケノリの顔を見せてやりたかった。
アイツっていうのは柳沢昇一
(やなぎさわ・しょういち)
のことだ。僕らのクラスのクラス委員。どうしてソイツがここに来られないかっていうと、校舎の屋根から落ちたからだ。週初め、月曜日のこと。
きょうのミッションは、アイツが落っこちた瞬間から始まった。どうしてあいつが屋根なんかに登ろうとしたのかっていうと、それは、一度のっちゃったら二度とボールが戻ってこない厄介な学校の屋根――雪国なのにほとんど平らって構造的におかしいだろどう考えても?――のせいと、このタケノリのせいが半々ぐらいなんだ。
「お〜い、クラス委員!」
二学期に入ってからこっち、タケノリはやたらと柳沢にちょっかいを出してた。先生がいない時を狙って、床が汚れてッぞとか金魚が元気ないじゃんとか、難癖をつけては困らせる。どうしてそんなことをするかっていうと、柳沢がタケノリのわがままをいっさい聞かないからだ。
タケノリは、三年生になってぼくらが一緒のクラスになったとき、ホントは自分が委員長になりたかったんだと思う。自分にそういう人望があると思いたがってて、だけどだれもタケノリを候補に推薦してくれなくて結局柳沢になったんだけど、タケノリも柳沢ならまあいっかと思ったみたいだ。おとなしくて扱いやすいヤツに見えたんだろう。だけどアイツは見た目ほどおとなしい人間じゃなかった。実は、テコでも動かない男だったのだ。
柳沢は、席替えのとき自分の席をいちばん後ろにしようとしたタケノリを見逃さなかった。ちゃんと公平に、クジを引かせたのだ。体育大会で自分の好きなヤツだけ集めてサッカーのチームを作ろうとしたときも、アイツはタケノリに勝手を許さなかった。いくら町でいちばん偉い家の御曹司でも、貴族じゃない。特権なんか持ってない。不公平は認めなかった。良く言えばまっとうなヤツだ。
だけど、悪く言えば融通が利かなくて、変なところで意地っ張り。だから衝突してしまう。アイツが自分の意地さえ引っこめたら、屋根に上がるなんて馬鹿な真似しなくてすんだのに。月曜日の昼休み、校庭で野球してて豪快なファウルを打ってボールを屋根に載せちゃったのは我が中学の振り逃げ王%c中であって、柳沢じゃない。柳沢がバットを振ったって、こう言っちゃ悪いけどめったにボールをバットに当てられないんだから。成績はいいけど、お世辞にも運動神経はよくなかった。
だけど、ボールが屋根の上に消えて落ちてこないと知るや、サードを守ってたタケノリがウンザリした顔で言ったのだ。あーあ、またウチのボール死んだよ……と。
学校にあるボールは、いやボールだけじゃなくてバットもグローブも、ついでに言えばバレーボールとサッカーボールもぜんぶ、長沼武典の親父さんが学校に寄付してくれたもの。それはホントだ。だけどもう寄付したんだから「ウチのボール」って言い草はないだろう。ぼくに言わせりゃ、町の財布の紐を握ってる長沼氏が地域に還元するのは当たり前だし、いままでも足りなくなったらすぐ補充してくれてた。だから、屋根に引っかかったボールなんか取りに行く必要はないんだ。なのに、
「ここはクラス委員の出番かな!」
と、打った田中じゃなくて、ライトを守ってた柳沢にふるタケノリがホントにイヤらしかった。なにかあるたびにちょっかい出してくるタケノリに切れそうになってた柳沢は、ついに爆発した。よりによって最悪のタイミングで。みんなが止めても自分が行くといって聞かなかった。まったく器用じゃないクセに、平衡感覚も悪いクセに、三階のベランダから屋根に登れるなんてよく思えたもんだ。校舎の三階の端、ぼくらのクラスの3Aのベランダからなら、屋根の縁が短くなってるから、手が届く。たしかにあそこからしかないんだけど……あのときの画はしっかり目に焼きついてる。下から見てた生徒たちのことも。野球をやってたメンツだけじゃなくて、関係ないヤツらまで校庭に出てきて屋根を見上げた。女子たちもだ。その中にはモコちゃんもいた。
柳沢はまず、ベランダからめいっぱい身を乗り出して、屋根の上に手を延ばして探った。もちろんそんなんじゃボールなんか取れない。ボールたちはもっと、屋根の奥のほうだ。
柳沢はいったん手を引っ込めた。もうあきらめろ、ふつうそこから下見たらビビってあきらめるだろ……ぼくらはみんなそう思ってた。ところが柳沢の意地っぱりはぼくらの想像をはるかに越えてた。アイツは、絶対のぼるって決めてたんだ。右手でベランダの柵をつかんで、左手で屋根の縁をつかんだ! それから体をぐっと持ち上げ、右足を柵の上に載せた。
あッ危ない、と声が上がる。もちろん、下で見てるみんなが同じことを思った。やっと先生たちがなんの騒ぎかと校庭に出てきたけど、遅すぎ。柳沢のバランスの取り方はすでに物凄くぎこちなくて、だけどどうにか、両足を柵の上にかけると、屋根の上の雪を少し払って、縁を両手でつかんだ。パラパラッ、と雪が少し落ちてきた。落ちてくるのは雪だけだ、当たり前だ……だけど、そんなぼくらの祈りは次の瞬間、あっさり裏切られた。
柳沢は両腕に力を込めた。体を持ち上げ、屋根の上まで持って行こうとした。
あっさり、手が外れた。
滑ったのか、それとも初めから握力が足りなかったのか。とにかく柳沢の体は、ハナから屋根の上までなんか持ち上がらなかった。よく考えたら当たり前のことで、柳沢も懸垂が苦手なクセになんであんな無茶したのか自分に訊けよって感じだ。柳沢はものの見事に、背中から校庭に向かって――ぼくらに向かって――一直線に落ちてきた。キャアッという悲鳴、思わず逃げ出すヤツ、突っ立って動けないヤツ。ぼくは、一歩も動けないクチだった。目さえ閉じれなかった。手が外れて、ぼくのほんの五メートルほど前にアイツの体が落ちてくるまでの一部始終を、見ちゃったんだ。柳沢は落下の間に半回転して、着地したときはうつ伏せだった。それは、幸運としか言いようがないと思う。頭から落ちて首を折っても文句は言えなかったのだ。下が積もりたての新雪だったのもラッキーだった。だから、死なないですんだのだ。
でも、落ちた瞬間はそんなことだれにも分からなかった。
ショックでだれも動けなかった。先生でさえ。柳沢も、顔を雪に突っ込ませたままピクリとも動かない。いちばん最初に柳沢に近寄ったのは、モコちゃんだった。彼女はひざまずいて呼びかけた、ショウイチくん、ショウイチくん……と。答えが返ってこなくても、我慢強く。そのときはぼくも動転してて分からなかったけど、あのときの声の調子をちゃんと思い出しさえすれば、結論はいたってシンプルだった。
モコちゃんは柳沢昇一のことが好きなんだ。
好きって言う言葉は単純すぎて好きじゃないけど、モコちゃんがアイツをほかのヤツより特別な男として見てるってことは間違いない。そっか、そうだったんだ、ヘエ……とぼくは気がついたら口に出しちゃってた。それってのは、実は次の日の二限目の真っ最中のことで、おかげで先生に睨まれちゃったんだけど。
ぼくはショックをごまかしたくて、必死に別のことを考えた。そんなことより大事なのはクラスメートの命だろ? 柳沢が死ななくてホントによかった……足と肋骨を折って肩を脱臼したけど、それだけですんだのだ。
アイツの体が雪の上に落ちるまでの数秒間が妙に引き延ばされて、脳裏に何度もフラッシュバックした。救急車が来るまで、柳沢のそばにずっとついていたモコちゃんの姿も。だけどぼくは――タケノリを見逃してる。どんな顔をしてあの場にいたのか。青くなったか、それとも、笑ってたのか。ぼくは知りたかった。アイツがあのあとどんな行動を取ったのか、だれとなにを喋ったのか。どれだけ責任を感じてるのか。
どうしてって、次の日にはもう普通の顔だったから。平気で週末のクリスマスパーティーの話をしてた。毎年、タケノリの家で開かれるパーティーのことだ。教室で、招待状をもらったヤツがタケノリにわざわざお礼を言ってるのが聞こえたのだ。ぼくの席は教室の前のほう。振り返ると、嬉しそうに笑ってるタケノリが見えた。
おい、パーティーなんかやってる場合かよ!
ぼくはそう言いたかった。言えなかった。
タケノリのずっと向こうにモコちゃんが見えた。ぼくはほとんど考えずにモコちゃんの席まで行った。モコちゃんは背が高いから教室のいちばん後ろ、つまりぼくとはいちばん離れた席に座ってるんだけど、で、ぼくらはほとんど話したこともなかったんだけど、ぼくはいきなり話しかけたんだ。頭に血が上ってなきゃそんなことできなかった。
「ねエねエ、相楽さんは招待状もらった?」
彼女は初め、驚いたようにぼくを見たけど、タケノリのほうをアゴで差したらすぐに分かってくれた。黙って首を振る。やっぱりモコちゃんももらってない。人と喋るのが苦手で、そのクセ変に目立つ大女に来てもらっちゃ困るってことか。当然だけどぼくも呼ばれてない。チョコマカして口の減らないヤツも目障りなんだろう。ぼくは少し顔を寄せてヒソヒソ声で言う。
「ムカつくよね〜、柳沢があんなことになったのにクリスマスパーティーだってさ!」
ものすごく、気持ちのこもった頷きを見せたモコちゃんをぼくが見逃すわけがない。
「心配だよね柳沢。あのさ、お見舞い行かない?」
誓って、ぼくはこの誘いを、この場で思いついたのである。言ってからこりゃ名案だと思った。モコちゃんもそう思ったみたいで、コクリ、と頷いてくれた。
次の日の放課後、ぼくらはさっそく病院まで見舞いに行った。面会謝絶じゃなくてよかったけど、病室の柳沢はあいにく眠ってた。しかも熟睡。腕と足を吊ってて、すごい状態だった。痛みがひどいだろうから麻酔を打ってもらって眠るのも仕方ないけど、せっかくモコちゃんが来てくれたのに顔も見ないなんて。柳沢オマエはまったく、間が悪いっていうかツイてないっていうか、これからの人生も苦労しそうだよな……としみじみ思った。まあ、ぼくには言われたくないだろうけど。
「ね、加賀くん」
モコちゃんに名前を呼ばれたのは初めてだったので、ぼくの背筋はピンとまっすぐになった。病院からの帰り道でのことだ。
「今晩、時間ある?」
いきなりそんなこと言われたら、ぼくでなくたってドキドキするよな?背が高くってもう大人みたいなのに、声は低くない。綺麗な高い声で、なんかいいなあ、とか場違いなことを頭が勝手に考えてた。
モコちゃんはふいに小声になった。秘密めかすように。
「夜、学校まで来て。」
「な、なんで?」
ぼくも小声で、というより掠れ声で返す。彼女は、
「お願い」
としか言わなかった。ぼくはだからその晩、ドキドキしたまま学校へ向かったんだ。夕方からまた雪が降り出して、しんどいなあ、歩くのそれでなくともしんどいのにこの雪、とかブツブツ言いながら学校まで来たら、モコちゃんはとっくに来て待ってた。
「ゴメン、待たせて」
謝るとモコちゃんは気にした素振りもなくて、
「下で見ててほしいの」
とだけ言って校舎に向かう。ぼくは
「へ?」
と言って見送った。モコちゃんは足許をさくさく言わせながら――あれだけ脚が長いと深い雪もぜんぜん苦じゃなさそうだ――一階の一年B組のあたりの窓に手を掛けた。そこの鍵が壊れてて自由に出入りできることはここの生徒ならだれでも知ってて、モコちゃんは当たり前みたいに窓枠に足をかけて中に入って行っちゃった。
「あれ? オーイ……」
呼んでもマヌケなだけだった。
「え……まさか」
そこでぼくはようやく、分かったんだ。モコちゃんが何をしようとしてるのか。
「ちょっとダメだよ! よしなって危ないから!」
ぼくはできる限りでっかい声を出して、それから、近所や通りがかった人に聞かれたんじゃないかとあわてて辺りを見回す。人影なんかどこにも見あたらない。この町の人たちが、雪の季節に用もないところを歩いてるわけないじゃないか。だから見つかる恐れはまずないんだけど、ぼくは見つかって怒られた方がよっぽどいいんじゃないかと思った。だって、ぼくは彼女を止められない。
モコちゃんは階段を駆け上がったらしくて、あっという間に三階のベランダに姿を現した。もちろん、柳沢のバカが落っこちたあのベランダだ。この暗いなかで校舎の屋根に登るなんて、考えただけで身震いする。危なすぎるよ、モコちゃんみたいに体の大きな女の子が……まあ、力はあるかも知れないけど……やっぱり女の子だし。しかも、ひどい雪なんだ。滑るし、ボールは隠れちゃって探すのが骨だろうし。
落ちた柳沢の残像はまだ目にクッキリ残ってる。あんなショックなことは、生まれてからそんなに経験がない。また同級生が落ちて雪に叩きつけられるのを見なくちゃならないのか、と思うと叫びながら逃げ出したくなって、でもそんなふうにパニくってるあいだにモコちゃんはもう、さっさとフリークライミングを始めてしまった。
あッベランダから足が離れた、モコちゃんぶら下がってるよ腕だけで、って具合に自分の目が信じられなかった。しかも、そっから先は柳沢とぜんぜん違ったのだ。彼女はぐっと自分の体を持ち上げて右足を屋根の縁に引っかけると、一息で体を屋根の上にのっけてしまった。そのときぼくの全身を包んだ感激は言葉では言い表せない。女忍者でもあんなに鮮やかにはいかないぞ、ああでももしかしたら、案外楽なのに柳沢がよほどヘボかったんだろうかと頭が混乱しかけて、いや、たしかに柳沢もヘボかったけどやっぱりああやって屋根に上がるなんて簡単じゃない、なにより勇気が凄いよモコちゃんかっこいいよ、とぼくはひたすら見上げながら体を熱くしてたのだった。
いつのまにか、屋根の上は白くかすんでる。雪が勢いを増してた。ぼくは彼女がよく見えるように校舎からちょっと離れた。急げモコちゃん、なんでもいいから早く無事に降りてきてよ頼むから――ぼくにはもう祈ることしかできなかった。だけど彼女には、たいした仕事じゃなかったみたいだ。あっさり屋根の平らなところまで行って、かかんでモゾモゾと身動きする。雪をかき分けてボールを掘り出してるのだ。
なんだか夢見てるみたいな気分になった。かがんでいたモコちゃんが、サッと腕を上げた。綺麗な動きだった。
そして――屋根からぼくのほうに飛んでくるもの。みるみる大きくなって、ぼくはあわてて、とっさに頭をかばった。
ザスッ。
ぼくから少し離れた雪の上に、突き刺さる音が聞こえた。ボールだ。
怖がることはなかったんだ。目を上げるとまたひとつ、落ちてくる。ぼくはすぐ気づいた、この大きめの、まんまるな雪がすごく優しいってことに。ぼくを取り囲むように、そいつらは次々に、地面に突き刺さった。
彼女が放って寄越すそのまるいものは、ぼくを避けて降る風変わりな雪みたいに、その晩だけ校庭に降った。で、それを見れたのはぼくだけだった。
実を言うと、ボールは一度だけぼくに当たりかけた。うまくよけられないぼくのほうが悪いんだけど、でも平気だった。ちょっと背中をかすめただけだから。
「だいじょうぶ?」
だけどモコちゃんは上から大声で訊いてくれた、自分でも、手元が狂ったって感じがしたみたいだ。気にしなくていいのに。ぼくは
「だいじょうぶ! 無事だよー!」
とせいいっぱい声を張り上げた。モコちゃん、と呼びかけそうになってあわてて、
「あのー、そっちはだいじょぶ?」
と訊く。
「うんー! だいじょうぶー!」
元気な声が降ってきた。ふだんは大声を出さない人だから妙に嬉しかった。
だけどこれで終わりじゃない。最後の難関が待ちかまえてる。モコちゃんは、屋根の縁からベランダに戻らなくちゃならないんだ。
登るときより何倍も怖いと思う。地面をのぞき込んで、自分がどれくらい、目も眩むような高さにいるか確かめた上で、また自分の体をぶら下げて、ベランダに飛び移らなくちゃならないからだ。
いきなりぼくの心臓が跳ね上がった。屋根の上のモコちゃんが足を滑らせたからだ。
ダンッ
、というでかい音がこっちまで響いて、モコちゃんは屋根の上に尻もちをついた……だけど、止まった。滑り落ちたりしなかった。ヒュウ……思わず息を吐く。ビックリさせないでよ……気がついたらぼくは汗だくになってる。
ぼくの祈りが届いたわけじゃないと思うけど、そのあとは順調だった。縁からぶら下げた体をスルッとベランダに滑り込ませて、彼女は姿を消した。
最悪、救急車を呼ぶことも考えてたから、ぼくは自然、はあああ……と思い切り息を吐き出してた。そこで、あッ。と思った。モコちゃんが降りてくる前にボールを回収しておかないと……我ながら気が利かない。雪の上を這いずり回って、校庭に空いた穴に手を突っ込んではボールを抜き出すけど、間に合わない。モコちゃんはあっという間に降りてきて、ぼくといっしょにボールを拾い始めた。
「ケガない? 平気? よくまあ、しかし、ホントにもう……」
ぼくの、ねぎらいだか非難だかわからない声にも、小さく頷くだけ。顔には緊張なんか残ってなくて、むしろいい運動をした、って感じで頬が上気してて、ぼくはまったく、眩しくてまともに見ることもできなかったんだ。
今夜の戦利品はすぐ回収が終わって、モコちゃんが持ってきたリュックにきれいに収まった。数えてみたら、十六個。一財産って感じだ。いつまでも屋根の上で眠り続けるはずだったのに。一人の女の子がぜんぶ取り戻すなんて、いったいだれが想像しただろう。
そしていま、ぼくらはここにいる。たしかにボールを携えて、タケノリのお屋敷に。ボールを返すためだけにやって来た。なぜだか頭に浮かんできたのは、皇帝のものは皇帝に返せって言葉だった。ぼくの母親はクリスチャンなんだけど、こないだ教会に連れて行かれたときに神父さまが言ってたのだ。あれはきっとこういうときに使う言葉なんじゃないかな?
「これがほしかったんだろ」
ぼくは言った。
「
メリークリスマス。
相楽さんと、柳沢からのプレゼントだよ」
キマった。自分でそう思った。昨日から言おう言おうと思ってた決めゼリフ。つっかえずに言えた。まだ変声期前みたいな自分の声の高さだけが気にくわなかったけど。
タケノリの顔は思い切り引きつった。何も言えないみたいだ。
それに満足して、ぼくは切り上げるべきだった。だけど興奮してて抑えが効かなかった。余計なことを言ってしまったのだ。
「こんなパーティーなんかクソ食らえ」
モコちゃんがぼくを見た。たしなめるみたいに。
パーティーに殴り込むってのはぼくのアイディアだった。作戦会議という名目でモコちゃんを連れ出した。ただボールを返すのはバカらしいよ、タケノリにもっと思い知らせてやろう……函館山の上で、吹き荒れる冷たい風に顔を凍らせながら、ぼくは力説したのだ。モコちゃんも頷いてくれて、そのときの目は熱く光ってて、気分的にはすごく盛り上がってここに来たはずだった。でもいざ来てみると、興奮はきれいさっぱり消えてる。モコちゃんも同じじゃないか。もしかすると、ちょっと後悔してるぐらいかも知れない。
タケノリのしょぼい顔が台無しにしてくれたんだバカ野郎、と思った。オマエ悪役の顔じゃないじゃん。なんだよもっとキレろよ、なんで怒鳴りだしてぼくらを追い出さないんだ? カゼでもひいてんのか?
まさか柳沢のこと、ひとりでうじうじ反省してたなんてことはないよな。
広間がざわついてる。たくさんの視線を感じる。やばい、と思った。退散したほうがいい。親に出てこられちゃ事が面倒になる。さっきちらっと見かけたけどきっとあれだ、クリスマスパーティーだってのに丹前を着ててすごく目立ってる人。まあ似合っちゃいたけど、子供のケンカには口を出してほしくない。いやこれはケンカなんかじゃない。
なんか言ってきたらぼくがうまく言いくるめよう、それがぼくの使命なんだから……と思ってたけど、ほんとに丹前の親父さんがのっそりとやってきたからぼくは思いきりビビッた。
町いちばんの名士。硬そうな髪の毛のほとんどが白髪で、眉毛だけが黒々として太かった。なんだか、牛みたいに鈍感な顔をしてると思った。床じゅうに転がってるボールを見ながら、
「なんだ、これは?」
だれにともなく訊いてくる。
だれも答えない。
長沼氏は今度は、武典、と呼んだ。息子が父親になにか答える前に、ぼくは急いで手のひらを突き出した。タケノリの顔の真ん前に。
「なんかくれ」
タケノリは、妙につぶらな瞳でぼくを見返す。
「どうせ見舞い行ってないんだろ? ぼくらが届けてやるから、なんかお見舞いの品、ちょうだい」
タケノリはキョロキョロとテーブルの上を見回す。泣き出しそうな顔をしてるのに気づいて、ぼくは自分のほうが悪者のような気がした。変だなあ、こんなんじゃなかったはずなんだけど。
タケノリって……思ってたほどイヤなヤツじゃないのかも。初めて、そんなふうに思った。なんていうのか……タケノリは自分のことが大好きなんだと思ってたけど、この家でコイツの顔を見てると、そうでもないんじゃなかって気がしたのだ。あんまり幸せそうじゃない。こんなに盛大なパーティーの真ん中にいるヤツの顔じゃなかった。学校でのタケノリって、もしかしてなんか無理してる?
タケノリはテーブルの上にあったシャンペンの瓶を手に取った。ぼんやりとラベルに目を落としてる。子供用の、アルコールが入ってないオモチャみたいなヤツだ。ぼくらのほうをチラチラ見る。ウン、ぼくは頷いて手を延ばした。いいんだよ別になんだって。タケノリは自信なさそうに瓶を差し出す。ぼくは受け取ると、ついでに、テーブルのバスケットの中にあった剥かれてないグレープフルーツも手に取った。着てきたジャンパーの左右のポケットにそれぞれ押し込む。
「じゃ、もらって行くよ」
ぼくがにこやかに言うと、タケノリはゼンマイじかけの人形みたいに小刻みに、首を縦に振った。
「ちゃんとアイツに届けるから」
ジャンパーのポケットの感触がいびつだった。妙に笑いが込み上げてくるのを抑えながら、疑わしげに見ているタケノリの親父さんに向かってぼくは、
「ではでは、失礼しましたぁ」
と元気よく言った。モコちゃんはサッと回れ右して後も見ず歩き出す。かっこいいんだ。ぼくは、家来みたいに後ろをついて歩けばそれでよかった。みんな道を空けてくれる。
広間を出て廊下を進んでると、自分のヒザとスネがズキズキ痛むことに気づいた。いままで、緊張してて気づかなかったのだ。ぼくの左足はときどき勝手な悲鳴を上げる。冬は特にひどい。
「イテテテ」
思わず弱音を吐いて、立ち止まって足をさすってしまう。
「痛いの?」
モコちゃんが振り返って訊いてくれる。声がすごく優しくて、眉をひそめた表情がなんとも言えず可愛いくて、ぼくはこのモコちゃんを見れただけでも今日ここにきてよかったと思った。ぼくは首を振って、平気なフリしてまたなんとか歩き出す。
玄関まで戻ってくると、受付の男の人がヒマそうにしてた。
「あ、もう帰るの?」
ガラガラ声で愛想よく言い、立ち上がってぼくらを見送ってくれる。
「はい」
ぼくは簡単に答えた。唇が震えちゃって、もう減らず口をたたけなかった。頭を下げて「おやすみなさい」とだけ言う。モコちゃんがドアを開けた。冷凍庫のドアを開けちゃったんじゃないかって思うほどの冷たい空気が押し寄せてきて、顔が痛い。あわててジャンパーのフードをかぶって襟のチャックを上げて顔の下半分を隠してフウウウ、と唸る。雪の勢いは衰えてなかった。庭がますます白い。さっき来たばかりのぼくらの足跡はほとんど消えちゃってる。上から刷毛で綺麗に塗ったみたいに。
ぼくは門を目指して必死に歩いた。任務を果たした部隊は、意気揚々と帰還しないとおかしいじゃないか。だけどやっぱり……加賀大樹は、隊の足を引っ張るダメ隊員なのだった。モコちゃんにくっついてなんとか門のところまでは来たけど、もう、足が上がらない。痛い。
ぼくは門柱にもたれると、モコちゃんに言った。
「ゴメン。相楽さん、先帰ってよ」
モコちゃんが静かに、ぼくの顔を見る。
「気にしなくていいから、休みながら帰るからさ」
モコちゃんはじっとぼくを見てた。恥ずかしくてぼくは下を向く。
モコちゃんは、ゆっくり体を翻した。
そして――その場にしゃがんだ。
「えッ」
モコちゃんの背中が、ぼくの目の前にある。
「乗って」
彼女は言った。
泣きそうになった。
こんなに情けないことはない。女の子におんぶされる? そんなの男じゃない。かっこ悪すぎる。絶対だめだ、やめてくれ……
だけど、モコちゃんの辛抱強さは並大抵のもんじゃなかったのだ。だいじょうぶだから、先行ってよ、と何度言っても聞いちゃくれない。
どうしても、ぼくをおんぶする気だ。
なんてこった……ちくしょう。ちくしょう!
ぼくはあきらめて彼女の肩に手をかけた。モコちゃんは絶対にぼくを置いていかない。彼女の性格を知ってたから、ぼくは本物の役立たずみたいに、彼女の背中に乗るだけだった。
フッ、とぼくのちっぽけな体は宙に浮いて、それだけで足が少し、楽になった気がした。モコちゃんの背中は大きくて、なんて頼り甲斐があるんだろうと思った。行きは野球のボール、帰りは同級生。今日は大活躍だ、えらいよなあ……
いつか、どんな道でも自分の足でしっかり歩く。それがぼくの夢だ、と思った。
だけどいつか夢が実現できても、その姿をモコちゃんに見せることはできない。卒業したら進路が別々になってしまうから。きっと会うことさえできなくなる。
「大通りまででいいからね、そっからは自分で歩けるからね、ゴメンねホントに」
ぼくは何回も言った。モコちゃんの背中はたくましいけど、でも……女らしかった。ぼくの膝の裏あたりを支える手が、その指の感触が、すごく優しかった。
「あした朝一番に、アイツんとこ行こう」
ぼくは言う。いま、この子がいちばん会いたいのがだれか分からないようなぼくじゃない。
「さっきの名勝負を、教えてやりたくってたまんないよ」
モコちゃんはなにも言わなかった。
顔が向こうを向いてるから表情もわからない。
だけど、笑ってる気配がふッと、ぼくのところまで漂ってきた。
2005/11/10〜12/22
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2008/12/5
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